プロフィール

野尻中向の春日神社参道の「白雲山」石塔と、ムシトリナデシコ

■2020年6月7日(日)

 昨日も雨は降らなかった。時折、厚い雲が天を覆うのだが、、、、、

 6日の午前、野尻中向の花の集荷所(雪室yuki-muro)に野の植物4箱(水入り容器・エルフバケット、レンタルしリユース素材)を納品した。雪の冷源で1晩予冷(植物を冷気室で一定時間置くことで植物体の呼吸を抑制すると、その後の日持ちが長くなる)今日7日に保冷トラックで首都圏卸市場に輸送される。
 今回の野の植物アソートの2箱は売り先が決まっており、都中央卸の東日本板橋花き(株)に届けられ、それが8日(月)の午前に青山フラワーマーケットの南青山本店と、午後までには池袋駅構内に接続している同ルミネ池袋店に納品される。2019年6月下旬からの取り組みで、今年の継続のはじまりとなった。
 私が野から集めた若いカラマツソウ2箱は卸が行き先を調整される。2019年は7月からの出荷としたが、今年はいろいろ考えて切り前(採取時期)を早くした。野にあるので、いつ採取するかは利用する度合いで異なるが、今回数日日持ちを見ていても大丈夫であった切り前の状態のものを出荷した。一方、野に自生しているワレモコウの新葉も出荷したが、出荷品(栽培、野生、山取含め)自宅での日持ち試験をしているが午前5時採取し水切り(採取したものをすぐに水桶に入れる)していても、花瓶中で8時間ほどで、水下がり(しおれ)がはじまっている。アソートのなかに20本入れたので、それは廃棄していただくよう先方に夜に連絡した。試験的なものを数種入れているので、水付け保冷輸送であっても課題は残るが、新しい素材(切り前)の開発には必要なことである。



 ふぢ子さんのムシトリナデシコの1箱は板橋花きに届けられる予定で、それ以外は農協の販売担当の寛之君が考えている。当初1箱の予定であったが、3箱になった。





  

江戸時代に誰かが種子を日本に持ち込み、その種子が日本国内に拡がり、現在、奥会津の集落の土蔵等の軒下の乾燥した場所で自生し、種子散布により生息域を拡大している。

 軒下は無水地区で土は灰のように細かな、こうした過酷な環境でムシトリナデシコは生き延びてきている。


 シレネ、、、さくらこまち等で営利栽培品種が出回っているが、これはその源流にある野の花(多年草)である。

 ニイツル(会津美里町新鶴地区)の菊地敏雄さんは、かすみ草圃場(パイプハウス)の、軒に近い場所でサクラコマチの株を維持されているので、かすみ草の視察に行くたびにそれを見ていた。


 私が20~30代はじめの時に、イヌワシやクマタカの奥会津に生息繁殖している野生動物の保護活動を通じて出会った植物学者(会津生物同好会、塩川町)の先生と、山野を歩いているなかで、一度だけ阿賀川河川敷の植生調査に同行をしたことがある。

 河川が増水するたびに流される、砂地、砂利、水の無い場所、、植物が根を下ろすための過酷な環境で、なぜ植物は生存できるのか?

 河川敷を踏査するなかで、教えられたのは、温帯の日本列島のなかに、在来植物が密生し、土中には多くの種子が眠っており(凍結保存、シードバンク)、ある生育環境が出現すれば一斉にその環境に適合した植物の種子が発芽し群落を構成する。しかしその群落も環境変化で遷移して他の植物が優先していく、、、、

 こうしたなかで、外来植物が入りこむ隙間はどこにも無い、、、唯一、過酷な環境だけ空き地があり、河川敷や崩壊地にのみパイオニア植物を受け入れる空間がある。

 有名なのは戦後に堤防・河川敷に拡がったセイタカアワダチソウであるが、日本の同種のアキノキリンソウは、このように進出できていない。


 奥会津の濃い赤紫のムシトリナデシコ(原種と推定)、、、、商品化する場合、呼称が新たに必要なのかもしれない、、、、

 この生育場所は過酷な場所であるが、種子散布で拡散し多年草として毎年そこで花を咲かせるが、それを地域の人々は引き抜いたり、除草剤を散布して殺処分していない。

 人々は生活する空間に植物を意図して配置し残している。


 6月6日の晩、かすみ草育苗ハウス脇の堤防に自生しているムシトリナデシコを採取し調整、エルフバケットにまとめた下中津川のふぢ子さんを訪ねて話を聞くと

「白い花が1株だけあった」という。

 その株を残し来年種を取りましょう。


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■6日に集荷所に荷を届けた後、同地区にある春日神社の参道脇に現存する「白雲山」の石碑の写真を撮影した。
 参道の石畳の隙間からムシトリナデシコが多く発芽していた。
 村内の修験(山伏、法印さま)をずっと調査しているが、白雲山(妙義山、愛宕さま、秋葉山等)は村内に3例有り、いずれも江戸時代の建立と見られる。気多神社参道左のものは記銘がある。
 さて、白雲山の石塔の上部には長方形に石がくりぬかれ、
現在は栃木県の古峰神社の木製のお札がおさめてある。木を白い紙で包む形状は、紙の汚染劣化度で時間の経過がわかり、1年に1度入れ替えることを強制するデザインとなっている。
 この春日神社の入り口には蛇石があり、近年、説明板が建てられている。
 白雲山の石塔の文字を見ると、山の文字の中心の縦棒が長いことに、今回の調査ではじめて気づいた。意図しているデザインのようで、直感としては剣を模しているように思えるが、土地の古老に後日聞いてみる。








ムシトリナデシコの濃赤紫の花





『三島町史』を典拠としている 




ナカムカイの不動さま(堂宇)


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施肥してマルチ栽培すると巨大化する

サクラコマチであるが、先祖返りで
ムシトリナデシコ(濃赤紫色)が出ている。
昨年の5月に撮影。