今日の朝5時30分から、センター前、花植え作業。
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23日昼からの雷雨が半日の豪雨日となり、待望の降雨。
23日午前まで花野菜苗の植え物、からむし焼き等には正(プラス)に働いた。
24日朝の山岳道路は、降った豪雨のため、舗装道路の両側の排水路から浮き上がって路上に落ち葉の島がいたるところに出現していた。
植物を載せたまま、島が流れ着いている
■日本農業新聞2020年5月24日(日曜版)の9面(東北福島版)、藤山浩「地元を創り直す時代」は、「縁側 内外をつなぐ空間」で、写真は島根県益田市の研究所の「さざ波テラス」。
筆者は
→「持続可能な地域社会総合研究所 所長」である。

■フランスの地理学者のオギュスタン・ベルクさんは、→ 2018年12月3日、奥会津の初冬の昭和村を歩いて「日本社会で発生している現象を研究する。それは田園回帰の時代である。その研究を進める」と語った。
2018年12月2日の仙台市での講演で「このままいけば人類は滅びる(日本語による講演)」という予言のような、その言葉は、2020年に現実のものとなっている。感染症の地球上での拡大は、大きな社会転換である。
農業というものには、3形態あり政府が財政支援する水田転作主体の大規模農業と、まったく政府と無関係に行う企業農業。そして自給のための、楽しみのための「農のいとなみ」である。「業」としないことが重要である。だれからも指図されない「農的くらし」のことが本来の「農」である。
これは手仕事(民芸・生活工芸を含む)にもあてはまる。
戦前(1945年以前)に、会津ニイツル出身の地理学者の山口弥一郎さんは、名著『東北の焼畑慣行』の序文で、東北地方に多い「かの」という焼畑呼称は、近世江戸幕府に連なる諸家中などが古代からの流れで領主等が進めていた「勧農(かんのう)」を語源としていると推察している。
語感からは「火野(かの)」と焼畑そのものを当てはめたいところだが、弥一郎さんの判断は「拡大生産=増産体制」を領主らが「勧農」したものであり、それは「工業生産的な農業(プランテーション)」と言いたかったのだろうと現代に読むと感じる。つまり「上からの指示」による奥会津における近世の耕作拡大は、生活者が求めたものではない、、、と弥一郎さんは直感したのではないか?
沼沢沼(現在は沼沢湖と呼ぶ)の周辺の焼畑村落を歩いて、詳細な研究をしているが、焼畑を営む母村の記述があまり無いのだが(田子倉・三条は詳述)、私は母村の上畑(常畑)にはウルシの樹木が植栽されており、会津保科(松平)家から種実の採取を義務づけられていたため(樹液は採取しないで樹を保護)、その外縁に焼畑をせざろうえなかった、のではないかと考えている。
近世末期、すでに会津産のロウソクは、西日本のハゼロウによる圧迫で売れなくなっており、ウルシの樹木を何に転換するのかが議論されていたと思われる。
そのひとつが焼畑斜面へのスギの植林、ウルシ植栽地の上畑(常畑)にはキリを植える、、、ことが幕末から明治初期に行われ、鉄道路線の敷設による輸送革命により一気にキリを作付けするようになる。
現在、奥会津のキリはその数世代後、つまり連作を続けた後の姿で(畑は疲れている)、本来はウルシの樹木が植えてあったとみてよい。北陸からのウルシカキ衆による「掻き殺し」手法による樹液採取を最後とし、ウルシは無くなり、キリが植えられた。
その会津のウルシも古代から続いている可能性がある。ウルシ生産は種実(ロウソク原料)と樹液があるが、いずれ現代からは見えない作物である。近世から明治期の書面では多く確認できる。道具でも確認できる。聞き取り調査でも豊かな伝承がある。しかし研究は無い。
産業観にとらわれない思考と調査手法の開発が必要である。
田園回帰は、地理学的な回帰でもあるが、ディティールを詳しく見ていくと植物回帰の時代であり、その核心は「樹木への回帰の時代」である。時間を蓄積しなければならない価値の時代、とも言える。
四季の表現、旬の表現は樹木が担ってきた。そして山野草。枝物花木、、、現在はユーカリ多種であるが、それが在地系植物(樹木)の1年生枝(シュート)の活用を考えていくと、1年生枝を伸ばす「つる植物」の社会的価値に気づく。
まず、ヤマドリ(切り出し)、移植、実生栽培、、、生産出荷の後に続くのは「愛(め)でる価値」の創出である。それは生育過程にこそ価値がある時代(切り出し利用しない)で、歌枕を訪ねる俳諧にも似た時代であろう。それを考えながら、多様な品目を少量作付けし、現在、観察し、考えながら観て、あるいは心を持たずによく見て記録している。
2020年は東京五輪が開催できなくなり、地球上いたるところで感染症防止のため国境封鎖されているため、数年間はこの「非常事態(異常事態)」が継続する。南半球ではこれから感染拡大の冬を迎える。
東京五輪も、主催者が中止も視野というニュースを流している(東京都は否定しているが)。
2020年は「開疎化の時代」のはじまりで、「サンミツ」を避ける、新たな社会行動規範が求められる。
先日、昭和村下中津川にある村立の昭和村公民館(ホール併設)が閉館を解いたが、「村民の利用だけに限りサンミツを防止し認める」。村外者の立ち入り、利用は認めない。つまり外来者による演奏会や展示会、外部講師による講演会等は、認められない。
村内講師で、村内受講者という地産地消原則となる。
■昨日(5月24日)の夕方、自家のからむし畑を火耕したが、このような農法が、先進国(?)の日本で、いまだ行われている。地域を限定しているが、我が家の場合、この農法で得られる「からむし(苧)繊維」は、販売をしていない。髙祖から続いてきたことを継続しているだけで、損得勘定ではない。販売先を持たない農ということを実践することで得られるものは、「人類は、なぜそれを続けるのか?」という問いを持ち続けることが大切で、「伝統の維持」のためではない。生業で行った往事の100分の1ほどの面積の現代のからむし圃場は、現代でいえば「プランター(園芸用の隔離箱、箱庭)農業」のようなもの。
しかし「たつ(品種・系統)」を選び、改植を繰り返す。焼いて、囲って、生育を待ち、そのほとんどが製繊作業に時間を費やす。
そのため、引いた繊維質を生み出した個体を毎朝確認して系統を見極める、改植(植え替え)は、良質な繊維を作出する母株の見極めが基本にある。外形か、根か、気候風土か、人間の栽培技術・引き出し技術か、、、考え続ける仕事(いとなみ)が工芸作物(非可食作物)の栽培意味である。
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■スマートフォンで撮影して、共時にインスタグラムやツイッターに動画投稿する(2020年春より)。「奥会津放送局」