プロフィール

05/22木、野尻川の暮らし(奥会津の川 2)

 


マストリヤス
2025年3月14日撮影



■奥会津の川 2 菅家博昭


 2025年3月14日、昭和村佐倉のからむし織の里で開催された織姫作品展に行くと、古い1本のマスツキヤスが壁に吊り下げられ、そこに作品のドライフラワーが下げられていた。ヤスの長さを測ってみると216cmあり、うち鉄の刺突部は5本にわかれ長さ22cm・幅10cmあった。

 偶然に展示用の長い棒が必要ということで織姫の皆さんが選び、これを使用したのだ、という。

 村びとが会場の作品を見るために集まっており、この長いヤスを見て、次のような話をされている方がいた。

「マス捕りヤス、各家庭で、みんな(誰もが)持っていた。村の鍛冶屋が作った」


 私は、この男性は知っている。昭和村の野尻で、からむし畑の刈り取り、からむし剥ぎをされている菅家友雄さん(昭和15年生)である。2024年の夏、昭和村公民館の昭和学講座で野尻を歩いた際に、もとの学校跡地での作業をされているのも見ていた。野尻にある旧体育館で、からむし引きが行われている。友雄さんが剥いだからむしは流水に浸けてあった。


 翌日の朝7時、電話帳で調べ野尻の友雄さん宅の固定電話に電話をした。マストリヤスの話を聞きたい、という用件を伝え、「急なのですが今日、3月15日の午前10時に訪問したい」と伝え、了解を得た。友雄さんは「そんな誰でも知っている話で自分でなくとも、、、、」と遠慮されたが、作品展で聞いた話に縁を感じ、お願いした。聞き取り調査は、偶然の出会いや、その流れに沿って動いていくことが大切だといつも思っている。同時代に生きて暮らしている人々の体験や、聞いてきた内容を、いま記録することにとても意味がある。語るほうも、聞くほうも、専門家である必要はなく、生活体験と同時代の記録こそが100年後に必要なものになるものだ。

 奥会津ミュージアム館長の赤坂憲雄さんは、「自分のことを書かずに、まわりで生きているひとたちの生活体験を聞いて、編集し、記録に残してください」とよく語る。そして「聞く人の能力が問われ、編集しまとめるにも能力が問われます。自分を活かすのはそのところです」とも。


 我が自宅の大岐から喰丸トンネルを通り、野尻川流域を北・下流に向かった。30分ほどで野尻に着いた。参考までに滝谷川上流にある大岐は川の左岸にあり、本村の小野川は右岸にある。昭和村では、南の山塊から北に開けた谷の日当たりのよい右岸に自然村は発生している。野尻川沿いも同じである。左岸にある村は、開発が遅く中世からの村が多い。野尻も左岸の湿地帯を中世領主の山ノ内家一党が開拓している。下中津川新田も左岸で江戸時代の新田開発による集落である。

 いわゆる野尻組の南端の両原と北端の松山は野尻川の両岸に家を配置している。


 中向から野尻川の橋を渡った左岸のすぐに友雄さん宅はある。

 玄関には鉢植えの花があった。

 居間に通され、こたつの右の横座には友雄さんが座り、左側・向かい側には奥様の和歌子さんが座る。朝の電話後に、準備されたと思われるのは、こたつの上に、揚げたてのふくらしもちが出されていた。和歌子さんが中向の人から教わった作り方でやっているという。もち米に里芋、生卵、砂糖、重曹、油を入れこねるが、ゴマを入れることでゴマが均一に素材が混ざったかどうかを見る目安になるのだ、という。ふくらしもちは低温の油に入れて加熱しながら揚げていくので、1枚1枚と、時間がかかる。いただくとたいへん風味よく軽いはざわりでおいしかった。


  友雄さんは生まれ育った喰丸の川・野尻川上流の村中の特定の場所が水浴び場になっていた、という。小学生の夏休みは、毎日、その水浴び場ですごしたという。もぐって魚も捕ったという。イワナを捕ったり、カジカを捕ったり、たのしみだった。

 結婚で、野尻に来て、マストリヤスは、どの家にもあった。しかしマスが来なくなって使い道が無くなり「必要が無いからと皆、出しちまったな」という。ヤスは地元の鍛冶屋が作ったものだ。ここ野尻にも鍛治屋はいた。2m以上ある長いヤスは、川のなかの石の上に立って、川の深いところを泳ぐ大きなマスを突いて捕った。

 昔はマスはいっぱいいたらしいよ。

 ウグイ捕り、エイショウは、特定の人がやっていた。ここ野尻に来た頃、野尻川にも組合(漁協)が出来て、川漁は制限され厳しくなって簡単にやれなくなった。エイショウも特定の人が許可をもらってやっていた。それまでやたらと川に入って魚捕っていたことができなくなった。

 アカハラという魚は野尻ではいっぱいとれた。ほとんどは自分たちで食べたり、近所の家に分けてあげたりして無くなった。また昔は旅館などもあったから、そういうところにアカハラを売ったりした人もいた。

 アカハラは紅白で色が良いから、祝い事の膳には必ず出したものだ。祝言(しゅうげん、婚礼)でもアカハラは付きもので出した。北海道に転出したからむし工芸博物館の松尾さんが、祝言の膳のことで話を聞きにきたこともあった。(この項、続く)