■2020年6月4日
6月3日の昼休みに訪ねた村落で、昭和10年生まれの方が話したなかに、
「とりいに、くぎは、うてないから」
「ひごを使っている」でしょう?と、
わかるでしょう?と聞かれた。
→森のかすみ草の記録
私は過日、南郷村(現南会津町)の月田禮次郎さんが、「生木(なまき)に金属の釘(クギ)は打てない、柱なども同じで釘は打てない」ことを思い出した。
ぼーっとしていると、
「ひごがわかんねのか?」と言われ、
「わかりませんから、教えてください」とマスクをかけたクチでこもごもした小さな声で、お願いした。
離れて座っていた、番匠(ばんじょ、大工さん)の棟梁であった方が、→「ひご」を図解で、詳しく教えてくれた。
この春三月に、鳥居を新しく建てたばかり、だという。
植物材料として素材名を聞くと、
「カラマツ」と応えられ
「杉より持つ(ながもちする)から」
離れて座っていた、隣家の婆様は、ここでクチを挟んできた。
「オレ、ゆったあだ(言った)。
鳥居など建てることができる機会は
番匠していても一生に一度あるかないかだから、
引き受けろ」
離れて座っていた番匠は、
ここの裏に立っている鳥居も、オレが建てた(作った)。
私は聞いた。
「その神様は、ヤマノカミさまですか?」
番匠は「そうだ。これは欄干付き(6脚)」
私はかねて問題意識のあることをいくつか
その後も尋ねたが、
番匠は
「越後の大工さま」は、多く婿(むこ)になって
この町に残ったのだ、という。
江戸時代以降、現在の新潟県から会津に
越後大工が多く出稼ぎで仕事をしている。
同じ時期、
奥会津のお百姓は、北関東等にかやぶきの屋根葺き職人となり冬期間、出稼ぎに行っている。
私は気になっているのは、この
「さま」というコトバである。
■『新編会津風土記』(1809年)