■2025年5月19日 月
・午後5時過ぎ、富山県高岡市 古城公園に着いた。軽乗用車で磐越道 北陸道400km走行。富山近くの連続26のトンネルを通過した。
・藤子不二雄の2人の生地の高岡市、まんが道の舞台でもある。手塚の本に出会った 文苑堂書店駅前店は令和元年5月に閉店。同社は移転。早く訪ねるべきでした。
・古城公園 もとの高岡城。動物園がありそこの入り口に 藤子不二雄らの 絵筆塔があり、時間閉園していたので柵から絵筆塔を参拝。樹木多く暗い歩道。
まんが道の聖地巡礼の高岡大仏も6時閉場で外から。
・文苑堂 近くの宿に泊まる。
明日、早朝に宿を出て南砺市福光温泉にある小院瀬見の堀宗夫さんの事務所に。カラムシ植えのワークショップ。9時ー12時。畑を借り耕運してある。
明日の午後 南砺市から峠越えで飛騨高山に向かい泊。21日は安房峠越え長野県麻績村。古代のアサ産地で オウミ村。
・ノートパソコンにアクセスできなくなりスマートフォンの小さい画面 右手人差し指で入力。
■ → 文苑堂書店
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■奥会津の川 2 菅家博昭 5月19日記
2025年3月14日、昭和村佐倉のからむし織の里で開催された織姫作品展に行くと、古い1本のマスツキヤスが壁に吊り下げられ、そこに作品のドライフラワーが下げられていた。ヤスの長さを測ってみると216cmあり、うち鉄の刺突部は5本にわかれ長さ22cm・幅10cmあった。
偶然に展示用の長い棒が必要ということで織姫の皆さんが選び、これを使用したのだ、という。
村民が会場の作品を見るために集まっており、この長いヤスを見て、次のような話をされている方がいた。
「マストリヤス、各家庭で、みんな(誰もが)持っていた。村の鍛冶屋が作った」
私は、この男性は知っている。昭和村の野尻で、からむし畑の刈り取り、からむし剥ぎをされている菅家友雄さん(昭和15年生)である。2024年の夏、昭和村公民館の昭和学講座で野尻を歩いた際に、もとの学校跡地での作業をされているのも見ていた。野尻にある旧体育館で、からむし引きが行われている。友雄さんが剥いだからむしは流水に浸けてあった。
翌朝、電話帳で調べ野尻の友雄さん宅の固定電話に電話をした。マスツキヤスの話を聞きたい、という用件を伝え、今日、3月15日の午前10時に訪問することで了解を得た。友雄さんは「そんな誰でも知っている話で自分でなくとも、、、、」と遠慮されたが、作品展で聞いた話に縁を感じ、お願いした。聞き取り調査は、偶然の出会いや、その流れに沿って動いていくことが大切だといつも思っている。同時代に生きて暮らしている人々の体験や、聞いてきた内容を、いま記録することにとても意味がある。語るほうも、聞くほうも、専門家である必要はなく、生活体験と同時代の記録こそが100年後に必要なものになるものだ。
奥会津ミュージアム館長の赤坂憲雄さんは、「自分のことを書かずに、まわりで生きているひとたちの生活体験を聞いて、編集し、記録に残してください」とよく語る。そして「聞く人の能力が問われ、編集しまとめるにも能力が問われます。自分を活かすのはそのところです」とも。
(続く)
マスツキヤス
http://kanke2017.blogspot.com/2025/03/0314_15.html