■2025年1月14日(火)雨、小雪
・通院後、帰宅し新潟県史大冊を読む。
・20時、ふくしまエフエムで以下の楽曲を聴いた。
火曜日「A・O・R~All This JAZZ」~オール・ディス・ジャズ~
音楽評論家、プロデューサーの牛窪成弘が出演、ジャズ・ピアニスト、ボビー・ティモンズを特集する1回目。
ボビー・ティモンズ Bobby Timmons
ジス・ヒア 20:04
ダット・デア
モーニン
e.s.t.セヴン・デイズ・オブ・フォーリング
プレリュード・トゥ・ア・キス
The Sweetest Sounds
You'd Be So Nice Come Home to
Spring Can Really Hang You Up The Most
Another Live One
Kamasi Washington Dandy
Bobby Timmons マイ・ファニー・ヴァレンタイン
■『新潟県史 通史編8近代三』(1988年)537ページ、『新潟県史資料編18近代六』(1984年)513ページ。
・電力卸売会社の東信電気は社名の通り、初め東信濃の千曲川上流で発電を開始し、ついで北アルプスふもとの犀川源流高瀬川で電源開発を行った。
東信電気が3番目に目をつけたのが新潟県の阿賀野川である。
ここはもともと地元資本の岩越電力が、大正末期から新潟県東蒲原郡両鹿瀬村(鹿瀬町)で、鹿瀬(かのせ)発電所を建設していた。それを東信電気の森が引き継ぎ、昭和3年(1928)阿賀野川水系第1号の大規模なダム式発電所を完成させた。
ついで翌昭和4年には、そのすぐ上流に豊実発電所も完成した。両発電所の出力は、合計約10万キロワットという巨大なもので、鹿瀬の昭和肥料へ工業用電力を供給し、鹿瀬と猪苗代を結ぶ送電幹線を通じて、東京電灯の猪苗代送電線経由で京浜市場へ送られた。
『新潟県史 通史編8近代三』(1988年)537ページ
・「阿賀野川における魚族減少に関する請願書」(『新潟県史資料編18近代六』(1984年)513ページ)
昭和6年11月8日に新潟県北蒲原郡松ヶ崎浜町で開催された、第2回 新潟県北蒲原郡漁業者大会において満場一致で以下の決議をして、中野邦一新潟県知事に小林敬治北蒲原郡水産会長が請願書を提出している。表記は漢字・カタカナ表記(明治期の公用表記)であるが、ひらがなに改め要旨を紹介する。
阿賀野川は源を福島県に発し本郡松ヶ崎浜に注ぐ長流にして本郡においては安田、分田、京ヶ瀬、岡方、濁川、松ヶ崎浜の各村わたり漁業組合ならびに個人の免許および許可漁業権また多数にして、鮭(さけ)、鱒(ます)、鮎(あゆ)をはじめとしてそのたの雑魚を漁り生計を維持する者数百人を算したるも、先年東蒲原郡両鹿瀬村に東信電気株式会社発電所堰堤築造せられ該堰堤には魚道の設備ありといえどもはなはだ狭隘にして不備なるため魚族の遡河ほとんど不可能におちいり、鮭、鱒、鮎のごとき上流に生息しいったん海に出でて遡上するにあらざれば、繁殖し得ざる魚族は年々いちじるしき減少を示し、加うるに同村に昭和肥料株式会社設立以来該肥料会社の製造する石灰窒素の害毒が降雨のたび毎に阿賀野川に流出せられ、鮭、鱒、鮎のごときはもちろんその他一般魚族も害毒のため全滅の惨状を呈し、沿岸漁民の受くる影響は甚大にしてますます披露困憊の極にあり。しかして該魚道の不完備と石灰毒による被害は河川漁業者のみならず鹹水漁業のこうむる被害もまた甚大なり。すみやかに実地調査をとげられ東信電気株式会社に対し魚道の改造をなさしめまた昭和肥料株式会社の鉱毒を同川に流出せざるよう相当の措置を講せしめ漁業者をして安して生業に従事せしめられんことを切望す。
なお同河川に鮭、鱒、鮎の孵化場を設置し該稚魚を年々放流し魚族の蕃殖を計られんことを切望に不堪候。(新潟県商工水産課「自昭和8年 遡河魚族関係」新潟県庁所蔵)
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