■2025年1月15日(水)小雪
・昼頃、大岐の2基ある水門のカミ側の1基の除雪は地区で終了。
・昨日夜NHKテレビで夕方と20時台後半のニュース枠で、福島市の福島県歴史資料館の展示会について放送があった。夕方の放送後、知人から、私が映っていたと連絡があった。そういえば、昨年末の12月26日に、仙台空港からの帰り道に、立ち寄り、資料調査を行った。その際、展示室も見たが、テレビ局が撮影をしていた。
■先日、1月11日、塩川町中屋敷の芳賀英一さんに教示された本を注文していたが、手元に届いた。南会津町伊南の大桃にある鱒滝(ますたき)について明治時代に書かれた記録である。
アーネスト・メイスン・サトウ、庄田元男訳『アーネスト・サトウの明治日本山岳記』(講談社学術文庫、2017年)
「日光から金精峠・尾瀬・八十里越を経て新潟へ」(125ページ~)
鱒滝(ますたき)は133ページに記載されている。
■伊南生まれの水産学者の河原田盛美らが執筆した『水産小学』(明治15年)には、絵図の記載もある(国会図書館デジタルライブラリーで閲覧可能)。 → ますだき マスタキ 河原田 2021年6月2日
■ → 2019年4月11日(木)
朝7時台、喜多方市山都町の小沢弘道さん(建築史、民俗学)から電話があった。 →2017年5月21日に会津坂下の青木木綿のシンポジウム、→翌春2018年4月28日の匠のふるさと会津(越後大工展)で福島県立博物館のギャラリートークでお会いしたまま。
小沢さんからの電話の内容は、以下のようであった。
大正4年、1915年に当時農林官僚であった柳田国男が那須から三斗小屋経由で会津田島に来て、祇園祭を見ている。その後、只見に向かい、旅館に泊。そこから現在の三島町西方から西会津町野沢に向かい、野沢駅から汽車で新潟県の三条市に向かった。
この旅程での同時代資料を探している。
特に只見で泊まった旅館名について、只見の新国勇さんにも照会しているが現在のところわからない。
『故郷七十年』に載っている、という。
私は、伊南の河原田盛美が同時代人で水産官僚、地元に戻っているので、神奈川大の常民文化研究所にその資料がある(奥会津博物館の河原田宗興さんがシンポジウムでパネラーとして行っている)。
調べてみると大正3年に亡くなっている。
田島の細井家の資料郡にないか?ともお伝えしたが、、、、