■2025年4月25日(金)曇り
・午前11時 おおまた。
・午後1時、喜多方のカーディーラー、点検。
■昨夜遅く、塩川の芳賀英一さんから以下のメールをいただいた。明治回想記を日本の古本屋で発注。夕方4時ころ、芳賀さん宅訪問する。
・アーネスト・サトウの記述は、サトウ自身の旅行ではなく、明治9年7月のベルツ、シュルツの旅行の引用です。
・だいぶ前に調べていて、付箋がついたままでした。しめした文献にクニッピングのドイツ語報告を翻訳した尾瀬、檜枝岐の記述、ベルツに関連する記述があります。ベルツの日記は忘れてきたということで、戻って直ぐに郵送してくれたので明日には塩川に届くと思います。「クニッピングの明治回想記」は今確認したら日本の古本屋で2000円程度で買えるみたいです。
メモ
◯文献
小関恒雄・北村智明訳編1991年「クニッピングの明治回想記」玄同社
◯ベルツ(1849-1913)・シュルツ(1840-1924)の旅行
明治9年7月(約半月ほど)
日光-金精峠-小川- 戸倉-尾瀬峠(三平峠)-尾瀬沼-檜枝岐-叶津-八十里越-三条-新潟-新発田-諏訪峠-津川-若松-大峠-三斗小屋-大田原-宇都宮-東京
シュルツ(シュルツェ)....ヴィルヘルム・シュルツ、お雇い外国人、明治7年に来日。東京医学校で外科学を教える。ベルツと親交。
◯クニッピング(1844-1922ドイツ人)の旅行
明治9年
日光-金精峠-戸倉-尾瀬-檜枝岐-大津岐峠-銀山-明神峠(枝折峠)-大湯-小出-六日町-清水峠-沼田-足尾-細尾峠-日光全11日
クニッピング...エルヴィン・クニッピング、明治4年に来日。技師、航海士、開成学校でドイツ語、数学を教える。明治14年から内務省のお雇い外国人、翌年東京気象台に入り明治16年6月1日に日本で初めて天気予報を行う。
◯「ベルツの日記」、クニッピングのドイツ東洋文化協会会報の報告(1878年)により、アーネストサトウの記述は明治9年7月のベルツ・シュルツの旅行から引用。従ってアーネストサトウは尾瀬、檜枝岐、鱒滝、八十里越には来ていない。
明治10年1877年11月増上寺の天光院で開かれた例会で、ベルツらが明治9年7月に行った日光-尾瀬-新潟-会津-栃木-東京の「日本奥地旅行」の報告をクニッピングが抄録を作成して明治11年に会報に投稿。ベルツの記述はないが、日記に行程等が記載。クニッピングの檜枝岐から銀山へのコースに注目。
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■4月24日午前、仙台市の東北学院大学の歴史学科准教授 金子祥之(ひろゆき)先生から2冊の本をいただいた。福島県浜通の原発津波被災後の伝統芸能の復活に関するもの。
・金子ほか「調査記録からみた福島県浪江町津島の民俗芸能(1) 山口弥一郎による1960年前後の調査記録を対象に」『東北学院大学論集 歴史と文化』第71号(2025年2月)
・東北学院大学金子研究室4期生一同編:東北学院大学博物館 企画展図録 KOREMITE 10『南津島の田植踊を1000倍楽しむガイドブック』2024年12月刊
■2019年11月28日に訪問した台湾島の中部の小林村。その土砂災害・移転復興のために、戦前日本の統治下での民族学的研究の記録を参照にしていることを思い出した。たぶろん族。









