■2025年2月19日(水)雪
・大雪懸念の1週間。
・2月22日(土)~23日(日)喰丸小にてトモシビソウ書店出店予定(10~3時)。大雪の場合は中止になる可能性があるようです。私は図書搬入手伝いのため初日の22日午前のみ喰丸小に滞在予定です。カスミソウ生産者が数名来られ懇談する予定です(大雪の場合は中止です)。
インスタグラム(洋子さん) → ともしびそう
エックス(ツイッター) → 燈日草
■2月18日、午前の除雪作業。
■1月27日 → 日本農業賞 集団組織の部 大賞に「JA常陸奥久慈枝物部会」
耕作放棄地の解消や若い世代の就農を促進したとしてハナモモなどの切り枝を生産する「JA常陸奥久慈枝物部会」が「日本農業賞」の大賞を受賞しました。
JA全中=全国農業協同組合中央会とNHKが主催する「日本農業賞」は、農業経営に意欲的に取り組み優れた功績をあげた農家や団体を表彰していて、54回目となる各部の受賞者が27日、発表されました。
このうち集団組織の部の大賞に常陸大宮市や常陸太田市、それに大子町で切り枝を生産する「JA常陸奥久慈枝物部会」が選ばれました。
大賞は宮城県と石川県のJA部会と並んで3団体の受賞となります。
審査では、耕作放棄地が広がり、活性化が課題となっていた地域で20年前に設立されて以降、枝物栽培を広げ若い世代の就農を促進するまでに成長したとしています。
具体的には、桃の節句などで需要があるハナモモを中心に現在250品目以上を栽培し、去年は2億円以上を販売する一大産地になったことや、高校生が生け花の技術を競う全国大会を支援するなど目に見える形で大きな成果をあげたことが高く評価されました。
「JA常陸奥久慈枝物部会」の石川幸太郎会長は「部会員と取り組んできた産地づくりが評価されうれしく思います。一大産地として持続的に発展させたい」と話しています。
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■第2回、京都生花主催 枝物サミット
■ 宇田先生 → 「第2回枝ものサミットin 京の花絵巻」から枝ものの現状と問題を考える
トレンドとしての枝ものです。
伝統的花材である枝ものが、新しい商品として注目を集めています。
グリーンが少ない家庭やビル環境には、四季折々の自然を切りとったような枝ものが潤いを与えてくれているのでしょう。いまや枝ものはSNSには欠かせないアイテムのようです。
そこで求められているのは、家庭環境に合わせた60cmほどの短い枝もの。切り花とおなじように、規格をそろえて安定供給が求められます。
山採りと法令順守
華道家の注文は山採りと一体。
華道家が規格花材でない「芸術品」を求めるのは芸術家として当然。
それを栽培圃場で得られるのなら問題はないが、多くは山採りに依存。
花市場は知事の許認可業種。
法令順守、コンプライアンスが厳しく求められる業種。
一方では、
入荷した商材は差別することなく、すべて適正な価格をつけて販売することが義務づけられている。
いままでは、「差別販売の禁止」を隠れ蓑に、その花材がどのように栽培されたのか、どこで収穫されたのかを問うことはなかった。
しかし、時代が変わった。
いままでは問題にされなかった日常の行為が、セクハラやパワハラになる時代。
日本では、どんな山にも所有者がいる。
最大の地主は国有林をもつ日本国、管理するのは営林署。
所有者の許可なく、樹木の枝であっても切りとることは許されない。
このことは、前回の枝ものサミットでも述べました。
2023年5月28日「枝ものの「山採り」を考える」
https://ameblo.jp/awaji-u/entry-12804753738.html
人気のドウダンツツジなどは生育が遅く、畑の栽培では採算があわない。
華道家がのぞむ枝ぶり、木姿にもならない。
したがって、山採りに依存せざるをえない。
品薄で、集荷に苦労している花市場、どうしても出荷してくれる生産者に甘くなりがち。
枝ものの人気が高い今こそ、山採りのコンプライアンスを検討すべきでしょう。
避けては通れない。見て見ぬふりはできない。具体的には、
京都生花がリーダーシップを発揮し、卸売市場協会で正式な議題として協議すべきです。
目先の売上が最優先の市場協会ですから、「寝た子を起こすな」、「波風をたてるな」で無視されることはまちがいがないでしょう。そこで、
次回の第3回枝ものサミットは、京の花絵巻のイベントではなく、全国枝もの業界サミットとして、全国の花市場、枝もの産地、華道家、花屋、そして農林水産省、法務省など関係機関が参加して開催してください。もちろん、音頭をとるのは京都生花です。なお、
山採りのコンプライアンスについては、華道流派家元も意識を変える必要があります。
違法が疑われる手段で入手した山採り品を使う家元にも責任が生じます。
しらなかったではすまされません。
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■ → 「オレンジショック」サントリーなど動く 輸入果汁7割高
→ 「ヤルタ2.0」の幻影 習氏がウクライナで狙う第3の椅子
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■松山誠さんのFBより
・小原流流祖、小原雲心の革命的なコンセプト
小原雲心さんが国風の盛花を発明していく過程は、はっきりとした本人からの発言が残っていないので、後からいろいろと調査が行われ、その足跡をたどる試みが幾度も行われてきた。
デザインの形態から見ておおざっぱに
過去の日本のいけばなの形式の発展形であるとか
文人集団との関わりの中からの応用であるとか、
西洋花卉装飾に触発されたものだと言われているが、
実際には、非常にこまかな創意工夫があり、
その後の、「自由花運動」から現代の日本のいけばなへと
切り開かれていく最初の事件であったと言える。
僕が雲心さんがすごいと思うのは、
いけばなに、洋花を取り込もうとした、
という発想と、もうひとつは、
日本の山野草を自然のままにいけようとした、
ということです。
僕ら現代の目で見ると、
洋花⇔和花
という対比で考えがちだけれど、
いわゆる和花というイメージは
花菖蒲や菊、牡丹、芍薬、朝顔、ふじばかま、梅、桃などの枝物
ですが、これらの多くが古い時代に外国から入ってきた花が
たくさん混ざっている。(現代の「和食」に使われている食材のほとんどが大陸由来というのと同じ構造)
雲心さんは
洋花⇔日本に自生する山野草
という発想をしている。
これは、まさに、明治後期の
近代日本における国風復活の
気運と重なる発想だったのではないかと思います。
登山ブーム、山野草ブームも当然影響しています。
人々は野山に遊び、日本のよさを再発見しています。
・日本の文化は「受け」だと思う。
外からの刺激によって反射して形成される。
合気道みたいな感じで
さまざまな外部の影響を受けながら
独自のスタイルを生み出していく。
そうして発明された日本文化がヨーロッパに渡り、
また影響されていく。
ヨーロッパのいけばなは、花瓶に注目すると、
挿し口が細くなっている形がほとんどで、
チューリップ・バブル時代以後に
チューリップ専用の花器ができたが、あれは特別。
たいていは、口が細く、そこに花をいけるから
まさにブーケの形になるのだと思う。
※トロフィーのような口の広い特別な花器の場合も
花を束ねて挿していたのではないか(19世紀以前の花は茎が短いものがほとんどだから)
これが、おもに明治以降に
西洋の花瓶が輸入されてくる。
日本の花器は、口が細くない。
むしろ広くて、途中が細くなる。
これは古い時代に仏教とともに
来日した供花のための銅器に由来する。
茶の湯の花いけのように、細口の花器があるじゃないか、
と言われるかも知れないが、
これらは、もともと花器ではなく酒器であることが多い。
船底酒器などというものは、船で酒を飲むために
底部が重くずっしりしていて、
花器にはうってつけであったろう。
なので、
日本の花器は薄端(ウスバタ)のように縁が広い設計になっている。
こういう花器や水盤が西洋に渡って、盛花のスタイルが
西洋の花き装飾に強く影響をし始める。
口の広い器には花留めの工夫がいる。
さし方の工夫がいる。
そういうことを西洋の人たちも学び、
自分たちのものにしていった。
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