■2025年1月11日(土) の 予定
昼ころ おおまたの大型ハウスの雪掘り。
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午前中は 塩川の芳賀さん宅。昨夜、電子メールで奥会津の川漁に関する研究ノート2214文字が送付されています。史料に基づく濃い内容でした。
1◯ 江戸末 沢龍堂蔵版「会津名物類聚」(芳賀英一さん所蔵)添付画像
番付形式に会津領内の産物を記載
東前頭 揚川鮭
西前頭 湖水鮒
西前頭 原川鮠
西前頭 只見川鱒
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会津若松市デジタルアーカイブ
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2024.12.01 福島県会津若松市
会津図書館では貴重な所蔵資料をデジタル化して公開しています。その中から懐かしい風景などを紹介します。
■今回、紹介するのは「会津名物類聚(あいづめいぶつるいしゅう)」
江戸時代後期から幕末にかけて、名産品や神社仏閣、温泉などさまざまな事柄を相撲の番付表(ばんづけひょう)に見立てて順位を付ける「見立(みたて)番付」が、全国で盛んに作られました。
「会津名物類聚」は、会津藩領各地の名物や特産品を番付にしたもので、大関(※1)から前頭まで順位付けした左右各66種のほか、中央の欄には行司から勧進元(かんじんもと)(※2)までの16種、合計148種の品目が番付に紹介されています。品目には蝋燭(ろうそく)や塗り物などの工芸品をはじめ、蕎麦(そば)などの食品、大根や松茸などの農林産物、しじみなどの水産物、刀などの武器武具、鈴虫などの生き物など多種多様な品目となっています。ちなみに、順位は公に認定されたものではなく、作者の大須賀清光(おおすがせいこう)(※3)が個人的に順位付けしたもので、作者の深い知識と遊び心が感じられます。
※1…当時の最高位。横綱は1909(明治42)年2月以降に最高位として明文化された
※2…興行主や主催者
※3…「若松城下絵図」や「蛤御門(はまぐりごもん)の変図屏風」などを描いた町絵師
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大須賀 清光(おおすが せいこう、文化6年(1809年)4月 - 明治8年(1878年)6月17日)は、日本の江戸時代末期に活躍した町絵師。名は清光、通称は喜知松、号ははじめ蘭斎、のちに皎斎。地元・会津を題材にした郷土愛あふれる作品を数多く手掛けた。
略伝
先祖は蒲生家旧臣で、蒲生家が会津を去った後に商人となったという。清光も裕福な商人出身で、幼少から画を好み、旦那芸として佐藤香斎に書画を学んでいたが、後に画道に熱中するあまり家産を傾けたという。一方、漢学を山内穆斎、和歌を相川功垂に学んだという。
代表作としては、下記のように複数確認されている「若松城下絵図」が挙げられる。これらは作品ごとに書き込まれている武家屋敷の名称が変わっていたり、藩の施設や寺院の描写も変化が認められる。このことは清光が単に同じ作品を量産していたわけではなく、内容の正確さを求めて常に質の向上を図っていたことをうかがわせる。他にも会津生まれの教訓書『万民心の鑑』、会津の歴史や地理を紹介した『会津千代松紬鑑』、若松を中心とした会津の文人名鑑『鶴城風雅集』、会津の何でもランキング「若松緑高名五幅対」などの挿絵も手掛けており、会津の人・物・風景を出来るだけ正確に複合的に記録しようとする、清光の会津への強い想いを感じさせる。
■10日、農文協編集部よりメール有り、その返信を未明に書いて送付。
→ 2021年12月の記事 2003年7月に昭和村で開催された「カスミソウサミット」の大会冊子に当時書いた原稿。
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■ 動画 かりゅう氏
1月7日 → 中国政経塾・第二十二回【柯隆:日本への道(一)】
1月8日 → 中国政経塾・第二十四回【柯隆:日本への道(三)】
1月9日 → 中国政経塾・第二十五回【柯隆:日本への道(四)】