3/21(水)みんぱく最終日 博物館での伝え方。クマ猟とハタヒッパリ

■2018年3月21日(水)大阪は雨。

 大阪滞在の最終日、夕方には愛知県名古屋市に新幹線で移動する。22日は渥美半島のかすみ草(切り花栽培)の調査。
 
 本日は、フランス・パリと、日本のみんぱくの博物館展示の事例報告で、人と環境との関わりをどのように伝えるか?と3日間を通した総合討論が行われる。博物館は研究・収集保存・展示公開(普及)が基本的な構造。伝えるということが重要な目的である。→ 関連サイト

 
■初日、3月19日の午後の部のコメント者として、北海道の佐々木史郎氏(国立アイヌ文化博物館設立準備室)が、報告者の後に発言された。

 日本の人口が増加時代は人間の居住域拡大が続いたので、野生動物が奥山に追われていった。しかし人口減少時代になり、人間がいなくなる、放棄された村が出現するようになっている。人間が住んでいた廃村は、えさ場として野生動物が利用するようになる。えさをとりやすい場が出現している。
 専門とするロシア・シベリアでも廃村がある。ソビエト時代、先住民の村が統合され廃村が生まれている。しかし周辺環境の自然が広大なので、日本とは異なる。
 クマの害、、、直接、ヒトへの危害が日本で問題になっているのは、理由があると考えられる。
 
 かつて、東北地方での春のクマ猟は集団猟で、冬眠からさめたクマを狩猟者たちが残雪の上を足跡を追い、クマを追い回して数頭捕殺していた時代が長く続いた。
 クマの側からすれば、ヒトに追われる経験があり、ヒトの暮らす地域には近づかないようになっていた。

 現在は、村の力が弱まり、都市と野生獣が直接接触する時代になっている。
 北海道では、アイヌ民族は里山を形成したのかどうか?等、課題はたくさんある。自然とヒトの関わり方、特にアイヌ民族の知識を現代に生かすようなこと、自然環境とヒトの関係を考える施設になる。しかし実際のアイヌ民族は70歳代の10名に満たない人数になってしまっている。狩猟を出来る年齢では無い。
 
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■このコメントを聴いて、私は奥会津のクマ猟のあり方、、、、ほとんどが単独猟で冬眠したクマを狙う猟となっており、クマの捕殺が目的となっている。かつての集団猟ということができない状態になっているとしても、冬眠したクマを捕殺することを「またぎ」として賛美する風潮には疑念を持っている。またこの10年間で、ニホンザルとニホンジカが集落に出現するようになり、カモシカも同様に集落内を歩くようになっている。この5年間でイノシシが奥会津に周年生息するようになっている。当初、雪の無い河川敷で越冬したが、数年前から、2m積雪地帯のキタゴヨウ(松)の尾根で越冬している。風により雪が吹き飛ばされ、地面が出ている中位山岳(600~800m)の尾根が越冬地となっている(地面が出ていれば、根を食べることが可能)。
 
 初日の事例報告を行った英国クーンズ大学、ベルファストのジョン・ナイト氏は「農作物加害動物に対する追い払い反応に対する調査」で、人間が動物にエサやりして慣らすの反対のことをしなければならないと、強調された。人間から動物が逃げるような経験を多くすることは、つまり、エサやりしない人を育てる、、、人が人を管理することが必要。人口減社会のなかで、あたらしい追い払い方、野生動物に恐怖を与え山に戻ってもらう戦略が必要。恐怖と環境の関係。

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■無雪期間に、繊維植物を畑に植え、育て、取り出す。それを冬期の雪のある時期に室内で、繊維を裂いてつなぎ、糸にする。堅雪となる春に、糸を紡ぎ、はたのべをして、おがせにして、そば粉でのりづけ(はたに、今は小麦粉も入れる。かつては麦を栽培していないので、カノ(焼畑)のそば粉のみ)。ここから村の女性が集まっての集団での作業となる。実際には2名いれば(家庭内の女性、嫁と姑で可能)できるものを、「はたぶち」から、それを堅雪の上に伸展する「はたひっぱり」をなぜ集団で行うのか?ということは調査もされていないし、重要だと思っている人もいない。しかし、個人が行うところと、集団で行ってきたことを、まず記録し、その意味を考えて、伝承しなければならない。
 奥会津での春先は、男たち(集団)のクマ猟と、女たち(集団)のはたぶち・はたひっぱり、、、、それが対となっていたのである。