2/22 木頭のクサカジ(2) 文化庁記録等

木頭のクサカジ(太布)

  四国の徳島県那賀町木頭での太布織りの素材はコウゾがいまは使用されているが、かつてはカジノキ(穀)が使われ、クサカジと呼ばれたものの場合は、加熱せずに皮を剥いで利用していた。作業にはカジという呼称が使用されているが、現在はコウゾを使用している。現在は、一月中旬に、畑から収穫したコウゾを、カジ蒸しと呼ぶコシキで蒸す作業を経て、蒸されたコウゾの皮を剥ぎ、灰汁炊き、木槌たたきをしてオニカワ(外皮)をとった繊維を川のなかに浸ける。翌日、それを河原の砂利の上に干し夜冷で凍らせる。凍った水田の上でも行っていたという。冷気を利用することが繊維の柔軟化に重要である。
 生の加工のクサカジの技法が衣料等原料の古層を伝えていると思われる。
 コウゾは皮を製紙原料として大量に移出していた関係から、コシキを利用して蒸すという産業としての装置を持つようになっている。以下資料により紹介する。後段の高橋八重子氏のものがいちばん詳述している。

  文化庁がまとめた『無形の民俗文化財記録二〇 紡織習俗Ⅰ 新潟県・徳島県』(一九七五年)は重要。これは太布庵で宮本常一編の本とともに、阿波太布製造技法保存伝承会大澤善和会長に教示された(註1)。同じ内容のものが『民俗資料選集 紡織習俗Ⅰ』として国土地理協会より発刊されこちらは古本等でも入手しやすい。

 文化庁文化財保護部編『紡織習俗Ⅰ』(国土地理協会、一九七五)の一五九頁から「阿波のタフ紡織習俗 那賀郡木頭村」は、徳島県文化財専門委員の後藤捷一氏による調査報告である。調査は一九六二年(昭和三七)に行われた。
 聞き取り調査は、原料植物については安岡岩樹氏(七五歳)が話し、紡織については岡田ヲチヨ氏(七四歳)、榊野アサ女氏(七二歳)の二名から話しを聞いている。
 今回訪問した際に、大沢会長が説明されたなかに「榊野アサ女さんからカジ織りを教わったのが、あの方です」と紹介される。また岡田ヲチヨさんが織られた太布も拝見した。
 安岡岩樹氏は調べてみると高知県生まれで二五年間、出原で、馬子を専業とされた(阿波学会資料)。優れた話者であった(註2)。

 前掲資料『紡織習俗Ⅰ』では、
 阿波の国では、往時、こうぞ(楮)・かじのき・しなのき・藤・麻・ヒュウジ(苧麻)・ツナソ(黄麻・ジュート)などの繊維で織った粗布を総称してタフ(太布)とよんでいた。本来の太布は昔の栲布で、こうぞやかじのきの繊維で作った織布であるが、のちにこれに類似するものもタフと呼ぶようになった(一六六頁)。

 木頭のタフ(太布)は、原料に こうぞとかじのきとをおもに用い、ままツルコウゾ(ふじかずら)や 麻などを使用したこともあるが、現在はツルコウゾ、麻は使用しない(一六九頁)。(※この報告者は ままという言葉を使用している)
 こうぞとかじのきは、山野に自生し、それを採取していたが、両者とも製紙材料となるので、タフを製するというよりも、製紙原料として販売するほうが利潤があり、製紙原料としは、かじのきよりもこうぞのほうが優秀なので、こうぞの栽培が行われ、一部はタフとなり、大部分が製紙原料として商取引された。
 

 ニカジ。木頭ではこうぞをニカジと呼ぶ。樹皮をはぐ場合に蒸す(煮る)ため、この名が生まれたものと思われる。
 クサカジ。かじのきを木頭では、マカジまたはクサカジともいう。生木採取の時期は、こうぞと同じように12月から3月ころまでで、ままこうぞと同様に蒸煮する場合もあるが、タフは蒸さず、そのまま皮をむくのが普通である。
 生木はこうぞよりもやや大きいものが喜ばれ、刈り取ったものは日当たりのよい場所で乾燥する。この乾燥加減は、皮がよくむけるか、むけにくいかに大きな影響があるので、乾き加減を見ることが肝要である。

 そして適度に乾いた幹を縦縞になる程度に表皮をざっと古鎌でこすり落とし、膝で押さえたわめて、こうぞの場合とは反対に、梢端部から下部に向けてはぐ。
 皮を約一握りぐらいずつ根元から四、五寸のところを共皮でしばり、竿や張縄に陰干しする。

 つぎにカジ殻(皮をはいだカジの幹部)を割ったものや竹のへらですごいて表皮を取り去る。それから手で揉みあるいは、足で踏み、または槌で打つなどして、じゅうぶんに皮を柔らげてから、績みにかかる。この作業をカジヲコナスという。

 木綿との交換(一八三頁)。明治以降、タフは自家用以外は、全部入山(木頭地区に入ってくる)して来る商人に売却したり、木綿のものと交換した。
 取引の相手は、美馬郡の穴吹町や、名西部の鬼籠野からのきまった商人であった。一反の値段は六〇銭内外で、普通木綿縞と交換する場合はタフに歩がよく、一反について十銭ないし二十銭の追加金があったが、同じ木綿のものでも絣(かすり)などの高級品には、反対に二、三十銭の追加金を出したものである。
 この場合、こうぞ製品は糸が太いので強く、袋用に喜ばれた。

 蒸すと灰色を帯びた淡褐色となったが、カジ製品は糸が細くて色が淡く、美しいので、値段は上位にあったという。
 袋類(一八二頁)。往事は山村の人々が、雑穀を運搬するには、必ずタフの袋(タフ袋)を利用し、急坂では荷負棒の上荷として、剣山周辺においてはなくてはならぬ用具のひとつであった。

 中井伊与太・曾木嘉五郎「阿波国祖谷土俗調査」東京人類学雑誌(第十二巻第一三三号・明治三十年)には、
 太布に二種有り。一は麻のみにて織るものにして色白く久しきに堪ふ。
 一は麻を経に楮を横に織るものにして、品質粗悪且つ繊維弱し。

 現今祖谷にて織る所の太布はこの様なりとす。
 而して太布に要する第一の原料たる麻は夏日之を刈り取り、大釜にて蒸し柔軟なるを度とし、之を乾し置き、陰暦十月の頃 之を渓水にて晒して、悉く外皮を去り、冬時雪深く戸外に於て労働する能はざる際、糸車にて紡ぎて糸となし、春に至り機にかけて織る。余等が旅行の際、麻の刈入れに着手せし所あり。或いは既に之を蒸して竿にかけて乾せる所もありし。(一六八頁)

 『四国連合共進会 出品物申告書』(明治十九年五月一日より同三十一日迄徳島に於て開催せられた折のもの)では、
 木頭の太布 刈り取りたる楮を数十日間干し(略)古鎌を以て掻き堅筋の創(きず)を入れ、以て一本の楮皮三~四枚に取り、二~三日間蔭乾になし、尚ほ日に干す事九日にして、楮の割枝を皮の裏に充て引き、然る時は表黒皮翻し落つ。夫(それ)より又一日程日に乾し、而して能(よ)く揉み柔らげ、後ち通常の苧の如くウミ、之を二日間水に浸し後、紡車にて撚りて綛(かせ)に掛け、干したる後ち灰にて煮る。

 然る後は河水の流れにて能く灰を落し、縮みたる糸を引延ばし、水気を去り、米糠を附着して糸の縮まざるように竿にかけ、重りをなし乾すなり。
 之を綛にかけ尋常の機に仕立て織物とす。
 只異なる所は経糸(たていと)には織毎に布海苔を引き、緯糸(よこいと)は管巻の儘(まま)煮て用ゆ。凡(およ)そ七~八反を以て一機となす。
 上等の職工は一反半を織る。機械は地機を用ゆ。(169頁)


(註1)二〇一七年四月四日、徳島県那賀郡那賀町木頭和無田字イワツシ一の太布庵を訪問。四月二十二日の徳島新聞読者の手紙(投稿)欄に、私の投稿した以下の太布庵訪問記が掲載された。
 国の重要無形民俗文化財に指定された阿波の太布製造技術を見学するために、那賀町(旧木頭村)を四月上旬に訪ねた。
 太布庵では、阿波太布製造技法保存伝承会の五名の女性の皆さんが、コウゾの樹皮から取り出した繊維を細く裂き、繋ぐ作業を行っていた。古くからこの地で続いてきたカジウミ(糸作り)である。
 伝承会の大沢善和会長は、かつてはカジと呼ぶ植物や、コウゾなど複数の植物から繊維を取りだしていた。そのためカジという言葉が各工程の作業に残っているという。1月の厳冬期に行ったカジ蒸しなどの写真も見せていただいた。
 「ヒュウジを山から採ってきて出すと男の学生服になって戻ってきた」と伝承会の中山アイ子さんが語った。戦時中のことで記憶している、という。ヒュウジとは苧麻(カラムシ)の木頭での呼び名である。
 私は福島県奥会津の昭和村に暮らし、古くから伝承されてきたカラムシという植物を畑に育て、妻がそれを繊維にして糸を作り、布を織っているが販売はしない。カスミソウ栽培専業農家として生計を立て、カラムシの作業はお金には換えない基層文化の伝承のためのものである。
 阿波の太布を継承する皆さんの話からは、土地でかつて行われてきたものには、大切な意味があると、強い意志を持っていることが感じられ感銘を覚えた。


(註2)出原に住む安岡岩樹氏(昭和四四年当時 八十一歳)は父、米治につれられて高知県安芸郡から木頭に転住し、二十三歳から四十八歳まで約二十五年の間、馬子を専業としていた(岡田一郎氏の昭和四十四年八月一日から七日まで木頭村で阿波学会の総合学術調査)。


2016年4月調査 木頭の太布



コウゾの脇芽欠き

穀類を入れる袋(太布製)