1月31日(水)雪中備蓄

■2018年1月31日(水)

 切り花の価格低下について、大田花きの磯村社長が書いています。青果は高値が続いているが、切り花は、、、→ 22日(月)の降雪で、切花は過去五年で最も安い値段となってしまった


■ 喜多方市山都町 → 凍結、、、、配水管の凍結。


  → ドコモが有するらでぃっしゅぼーやの株式をオイシックスドット大地が取得

■ → 雪中備蓄(じゃがいも) 
 
■ → MPSの花

 → 花のJAS(政府)



エクセレンスか?
熊本県天草のかすみ草

YB一箕町


1/30ふかゆき(深雪)、雪がスクムまでは、、、

■2018年1月30日(月)

 今日午後1~3時、三島町山びこへ。松崎氏と調査打合せ。→2月2日調査予定。

 31日午前・通院送迎。2月1日(木)と5日(月)は通院。

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昭和村の看板埋まる。



川も埋まる



1/29(月)黒沢の道路の雪   フカユキ(深雪)

■2018年1月29日(月)曇り、小雪

 今朝は10cmほどの粉雪が積もった。

 今年はフカユキ(深雪)である。

 柳津町黒沢地内、消雪道路にしている関係から除雪がなされおらず、道の両側の雪がたくさんあり、1台が通行できるだけですれ違う場所が無い。県道柳津昭和線では、黒沢地内と滝谷駅のある柳津町中野地内が家屋が接近しいちばん道が狭い。

 午前11時頃、黒沢地内では民家屋根の雪が落ちて、道路が通行できなくなっており、数名で掘って通行した。





柳津町黒沢地内1月29日午前11時頃


711の移動販売車


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1月28日、柳津町黒沢

1/29(月)雪下ろし2日目、土蔵、育苗鉄骨ハウス




土蔵はグシを出して

土蔵終わり


母屋南手の下屋


消火栓も掘る


大型ハウス
 






五葉松と赤松(二葉松)

■2018年1月29日(月)

 今日は、大岐自宅の土蔵の雪降ろし。

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 『昭和村の歴史二 昭和村のあゆみ~昭和から平成へ~』(昭和村、二〇一一年三月)には、中向の事例として、次のように記載されている。
 
門松迎え:十二月二十八日 お不動様を境にシモは五葉松、カミは赤松と決まっている。今は秋のうちにとる人も多いが、巳吉さんはこの日を守っている。


二葉松(アカマツ)

五葉松(キタゴヨウ)


山の神様のアカマツ

 そもそも大岐のオミヤ(鎮守の山の神様)とは何だろうか?
 父・清一(昭和七年生)に二〇一二年五月に聞いたところでは、一九四五年の終戦後に現在の県道が出来た。一九四六年以降のことである。そのことで下流側の柳津町西山側から自動車が通れるようになった。このころ、オミヤの社殿の後ろ杉の脇に大きなアカマツが一本あった。アカマツは自生していないので先人が植えたものだ。
 話しを聞くと、アカマツが山の神のよりしろ、つまり山の神そのものではなかったかと思わせる。
 このアカマツは巨木で、地上から十二メートルほどまで太い主幹で、そこから枝が五本に分かれていた。背の高いアカマツには何度も雷が落ちたが大丈夫だった。最後に落ちた雷が五本の枝の一本を傷つけたので、主幹が無傷のうちに売ったほうがよいということになった。それを提案し実行したのは近江屋の彦蔵と石川屋の万吉で、村(大岐地区)から払い下げて、船材にするといって春、雪のあるうちに伐った。
 前(東)には社殿があるので、後ろ側(西)に倒した。このアカマツの主幹から三間(一・八メートル×三、五・四メートル)の丸太を二本取った。杉の木も伐り新しくソリ四丁(二組)作った。一本の丸太の前後にソリを据え、堅雪にソリ道を作り、県道まで引き出した。
 搬出用のトラックに積むのだが、重くて上がらず積めないので、新潟から来た大工がアカマツを大きな鋸(のこぎり)で挽き割った。
 アカマツを売ったカネ(金)は分配され、わが家では、それでリヤカーを買った。

 またオアタゴサマ(御愛宕様)の尾根のアカマツ群も売って、不用村地の購入代金にした、という。この際、石祠の場所のアカマツは残している。オアタゴサマの尾根のアカマツ十本ばかり、幹周り五~六メートルあったという。大人三人でようやく抱える太さであったというが、よく雷が落ちたのだ、という。これは材の長さが十一間(二十メートル)あったという。小野川のケイオヤジが買って売った。

 大岐ではクロマツと呼称しているが、ゴヨウマツ(キタゴヨウ)が尾根に自生して、たくさんあり、これが年末~正月の門松にする。小野川本村の斎藤マケ(類族)もクロマツ(キタゴヨウ)を門松とする。渡辺マケは門松にはアカマツの枝を使い、節分の豆まきはしない。小野川の渡辺武清宅は江戸時代の名主で役宅であり、会津藩あるいは幕府の田島代官所からの役人が立ち寄った。そのため家屋南に池を設け、その脇に大きなアカマツが植えてある。このアカマツは五本松、喰丸峠とをつなぐ目印(標識、灯台のような)の役目をしており、特に冬の吹雪の際に目標になった、という。

 大岐のアカマツは五本の枝が出たものであった、という。山中にある樹木で、三本に幹が分かれているものは、山の神様のヤスンバ(休み場)だから伐ってはいけない、と言われている。大岐に栗の木は無く、現在見られる栗の木は植えたものだという。オミヤの境内には大きな栗が五本植えてあったが、すべて老木となり倒れている。
 私が小学生の時の夏休みに栗の巨木が一本倒れた。地上部が枯れたままで立っていた栗の木も十年ほど前に倒れた。この頂部にはよく大型の鷹類が止まり、樹幹はキツツキ類が叩いた。また幹のうろ(穴)にはカルガモが巣を作り卵を生み雛が巣立った。




菅家博昭「見えないものを見る意志」
『奥会津 神々との物語』(奥会津書房、2000年)



1月29日(月)朝は土蔵屋根の雪降ろし

■1月29日の朝方、気温が低いうちに行なう予定。











1月28日(日)晴れ、雪下ろし

■2018年1月28日(日)晴れ。大岐 積雪深210cm。

オミヤ (鎮守・山の神)
1月8日に続いて2回目の雪降ろし。







ヤマノカミ

■2018年1月28日(日)
 本日は、雪降ろし作業。
 
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■哲学者の内山節(たかし)は『増補 共同体の基礎理論』(内山節著作集15 農文協、2015年)の241頁「個の知性によるデザインから関係によるデザインへ」で、人間が知性を働かせてデザインすること自体が、もはや信用できないはずである。デザインの内容を変更させ、知性の働きから解き放つこと、として、「ヤマノカミ」の事例に言及する。


 日本の山村に行くと、どこにでも「山の神」が祀られている。私のいる上野村(群馬県)にもおそらく何百という山の神を祀っている場所があるが、それは大抵は岩のあるところである。この山の神信仰が面白いのは、山村ではくまなく信仰されているといってもよいのに、宗教の体をなしていないことである。
 教義にあたるものは、山の神が森を守っていて山の神を大事にしないと山に入ったとき怪我をするなど罰が当たる、というだけで、それ以上の何ものも存在しない。
 山の神がどのような神様なのかもいま述べた以上のことは何もなく、山の神が森をつくったわけでもないし、全国に数えきれないほど祀られている山の神がどういう関係になっているのかもわからない。
 山の神信仰を統括する「本山」にあたるものもない。
 僧侶や神主にあたる人もいない。信仰したからといって登録しにいく場所もないし、信者登録がないのだから、脱退することもない。もちろん会費のようなものを納める場所もなお。信じるようにという勧誘を受けることもない。そういう信仰なのである。それにもかかわらず山の神信仰は山村にいけば強固で、誰もが山の神を大事にしている。

 知性でとらえようとするかぎり、山の神は信じるに値(あたい)しないのである。なぜなら知性でとらえる対象を少しももっていないのだから。聖書やお経、コーランにあたるような教義でももっていてくれれば、それを分析し議論することもできるが、そもそもそのようなものがない。
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山神 旧在小野川端村大岐


延宝3年 1675年

左は明治12年